pattison JOURNAL

日常のログとして。生活、たまに映画、まんが

ヒゲダン

2020年はいろいろと社会的にも個人的にも記憶に残る年なんですけども、1つに髭ダン大ブーム(自分内)があって、最後は配信ライブもチケット買って見たりして、それでだいぶ満足したぽくて、そこからわりと落ち着いた感じで、最近はすっかり離れてたのですが、今日は久しぶりに帰宅の道中に歌いながら帰ってきて、歌詞もだいぶ思い出してきて、楽しかった。

パラボラとラフターが好きかな。

コロナ禍の始まりの中で大学受験だった人が複数名身近にいて、その人たちが進学して一人暮らしを始めた頃とちょうど重なって『パラボラ』はリリースされて、まだ感染はそれほど広がってない時期だったけど、ワクチンも薬もなく、まだ何もわからなくて、ひたすら不安で、閉じこもるしかなかった中での彼らの門出に、エールを送る祝ぐ歌として書かれたみたいに感じて、わたしの中では、すごくありがたいなあ、歌はいいなあと思ったのでした。曲はうんと前に出来てたはずだから、コロナは関係なかったと思うけど、パラボラ聞くと、あの頃の良く晴れて、シーンと静まり返った春の日を、不安な気持ちと一緒に思い出す。不安な中だったけど、この歌があってよかった。

 

そんで、好きな歌詞があったのに忘れたりしてたけど、思い出したのが、『イエスタデイ』の君のこぼした涙ひと粒は、ぼくの理性を奪うのに十分だった、みたいな歌詞で、なんでここすきなんかなあと思って、そういえばまんがの中でも、相手がぽろっと涙を流したら、それを見て狼狽えておろおろするひとの表現が好きだったわって思って。優しいやん?共感性っていうか。相手の気持ちを押し返したり、かわしたりしてなくて、その時点ですでに混じり合ってるっていうか。

そこからちょっと個人的なツラミみたいなのが発掘されてしまって、ちょっとあれなんだけど、泣いてる人見て、優しくしてあげたいとか、助けたいと思う人と、ウザい、感情出さないで欲しいと思う人と、建前でない正直な気持ちで言うと、割合は後者のほうが多いと思うんよな。関係性でいうと浅くない方の関係だと、よけいに。

大きめの感情が発生したときに、ちゃんと受け止めたり、向き合えたり、そういうの、いいよね!

(まとめが雑)