夏くらいに書いて置いてた感想を放流します。まとまりはないまま
千と千尋の神隠しも絡んでたし(今日放映してたし)
『イカとクジラ』を見た。
ネットフリックスで「グレタ・ガーウィグ」で検索したら、本人ではなく、お連れ合いのノア・バームバックがたくさんヒットして、サクッとみられそうな、これを見てみた。
親がとにかくひどい。最初のシーンから父親はひどいけど、母親も同じくらいひどい。
そして最後まで全く何かに気づいたり、反省したりしないのが、すごくリアルだ。
でも、もうわたしも同じ親なので、意気揚々と糾弾したりできない。
『千と千尋』の親の描写が、独身の頃は、わたしならあんな親にはならない、もっと子どもに寄り添ってあげればいいのに、と思いながら見ていたのに、今はあの親の姿は全く自分だと思う。ごはん勝手に食べて豚になる
最近、子どもを育てるために自分を「犠牲にする」ってことをちょいちょい考えていたけど、『イカとクジラ』の親は、自分の欲求や都合をとても大切にする。
自分の子どもが助けを求めてやってきても、今日は無理だから帰りなさい、わたしも子どもと離れる時間が大切なのと、今、目の前で困ってる子どもに母親が言う。
本当にひどいと思うけど、「自分を大切に」と「子どもを最優先」はぶつかり合って、結局どっちかに「犠牲」が生まれる。
「親だから自分を後回しにして当たり前」のハードルの高さはだれが決めるのか。
どうしたら子どもが犠牲にならずに済むのか。
親が十分に成熟した「大人」だったら、犠牲と思わず、子育てにコミットできるのか。
主張ばかりする親の間で振り回される子どもが気の毒だけど、そんな子たちにかわいそうにと言っても、何の助けにもならない。